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江戸時代の院政

江戸時代に入ると、『禁中並公家諸法度』に基づいて江戸幕府の対朝廷介入は本格化し、皇族の政治介入はほとんど出来なくなった。徳川氏を外戚に持つ明正天皇の即位でこの体制は確立されるが、明正の治世中は後水尾上皇による院政が敷かれたため、明正が朝廷に於ける実権を持つことは無く、後水尾上皇に朝廷内の実権が集中した。さらに、霊元上皇が院政を行うと、江戸幕府との間に確執を生み、朝幕関係に緊張を走らせた。結果、江戸幕府は院政の存在を黙認せざるをえなくなる。元々院政は朝廷の法体系の枠外の仕組みであったがために、『禁中並公家諸法度』ではそれを統制できず、江戸幕府による朝廷の統制に限界があることを露呈した格好となった。

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江戸時代末期(文化年間?弘化年間)に閑院宮出身の光格天皇が、息子の仁孝天皇に譲位して院政を行ったが、これが現在において最後の院政である。

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2009年04月26日 11:51に投稿されたエントリーのページです。

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